知りたかったリアルな現状、スラム街に行って来た

日本にいると本当の意味での貧しいってなかなか理解しにくい。

けどここPhilippinesでは目の前に見て取れる生活格差。貧富の差。

スラム街も、昔アフリカのケニアにあるスラム街に行ったことあるけど

今回Manilaでも行ってきました。


Manilaにはあの漫画ワンピースで有名なスモーキーマウンテンがあるんです。

今回はスモーキーマウンテンではないけど、

今最も深刻なスラムの一つの近くまで行かせてもらいました。


まず、確認しておきたいのはスラム街とは言えそこには住んでいる人がいて、

その人達の生活があると言う事。

そしてあらゆる理由から、簡単に興味本位で行ける場所ではないという事。

出来る範囲で配慮しつつ、可能な範囲で近付き、

スラムに住む人達と少しだけ交流してきた。


その時リアルタイムでFBから私は記事更新していたので、

そのまま引用⬇(※だいぶ長いです。)


ところで皆さんは、「スラム」と聞いて何を想像しますか?

私を含め、少なくとも「かわいそう」という感情やイメージがある人が多いのではないでしょうか‥?私も行く前はそう考える1人でした。

しかし、実際に行って、見て、住む人達と触れてみて、

自分の感覚や考えが180度変わりました。


今回、スラム街までは電車やジプニー、タクシーを乗り継ぎながら行った。

スラムが近付くにつれ、どんどんと変わる建物や物。途中から何かフィルターがかかったのでは?という位に変わる街の様子。それから間もなく独特な香りが辺りを漂い始めました。

スラムに着いてまず目の当たりにしたのが、その夥しい程のゴミの量。

初めて目にするゴミ山。そしてその中を素手素足で探る人たち、ゴミに埋もれた家らしき建物、地べたに座る小さな子供。

なんだか初めは変な感覚だった、安心というか何というか・・・「あぁやっぱり」「想像した通り」と、正直思わなくはなかった。

きっと、どこかで自分の想像を”まだ”超えていない、自分の想像の範囲での出来事である事に少なからず安堵の意を感じていたのかもしれない。


しかしその直後、私のその安易な考えは一瞬で間違いだったと痛感させられた。


人々に目をやると、なんだろう、違和感を感じずにはいられない。

想像していた「かわいそう」という言葉が全くもって当てはまらない。

そこに居たのは、とてもエネルギーに満ち溢れた、目の澄んだ人達。


もともと知識として知ってはいた、スラムの人達は目が澄んでいるという事を。

だけど、実際に目の当たりにするとどうだろうか、

その澄み方が半端なものではないという事に気づく。


それは、まるで私自身に

「生きるとは?」「幸せとは?」と問いかけるようなものだった。

正直怖かったし、受け入れたくなかった。競っているわけではないし、そもそも幸せやその価値なんて計れるものではない。けども、なんだか私は負けた気がした、一瞬で。


この時、自分の想像しえない世界が本当に存在することに対し、ただただ劣等感とある種の恐怖を感じたことを今でも覚えている。こんな風に書いてみると、すごく色付けしたように感じるかもしれないけど、ここに来た者しか感じ得ない何かは絶対にあると思う。


しばらくは言葉が出なかった、というより受け入れられなかった。

お世辞にも住んでみたいとは言えない環境の中に存在する、”普通”すぎる生活を。

周辺環境や仕事は違えど、そこには私たちと何らかわらないシンプルな日常があった。商売も成立していたし、もちろん家族もあった。今の日本社会より多くの大家族を見て取れた。たくさんの子供、明らかにそのスラム内では平均年齢が日本より若いこともすぐにわかった。

オモトさんは、貧困層ほど家族構成が大きくなると教えてくれた。

それの理由はわからないが、つまりはきっと、人間が生を受け営んでいくことは

きっと私達が考えるよりずっとシンプルで単純なことなのかもしれない。


少し歩くと川遊びをしている少年たちに出会った。気持ちばかりのお菓子を受け取ってもらった後、その遊びの様子を見せてもらった。

そこに流れる川にはには何が流れて何で汚染されているかわからない。きちんとした排水機能を持たないであろうその現場は、きっと生活排水や汚水で溢れているのが容易に見て取れる。しかし少年たちは、当たり前のように橋の上からダイブを繰り返し始めた。見ているこちらが気持ち悪くなりそうだったが、彼らは心のそこから楽しみ、今を生きれる喜びさえも感じさせる笑顔をしていた。

また少し移動すると、なんだか歌声が聞こえる。スラムの住人が集まって音楽を奏で歌を歌い踊っている。そこには老若男女が集まっていた。そしてその声にはエネルギーやまっすぐな心を感じさせるパワーがあった。その隣では、さっきとは別の少年達がバスケットボールで遊んでいる。隣には赤子を抱いたお母さんがこっちを見て微笑んでいる。


そう、ここに本当に日常が存在していた。いや、それはもしかしたら私たちの想像する日常以上にシンプルでHAPPYな生活かもしれない。信じられない位にそれは自然で、ごく当たり前のような環境に目に映った。


帰りの道中、スラムで感じた違和感についてずっと考えていた。そして「スラムの人と私たちとでは、どちらがより本質の幸せを実現できているのだろうか?」と考えていた。

正直、言葉にはしたくないが、スラムの人の方が本質理解をしているかもしれないと感じてしまった。


ものやエネルギーなど、物資・情報的に圧倒的に長けているにもかかわらず、年々人口減少し人々の活気不足を指摘されている日本。それに比べて、ものやエネルギーは圧倒的に足らず、最悪に近い環境のかなでも輝きながら生活しているスラムの人びと。本当に大切なことって、本当は私たちは生まれながらに持っていて、だけどいつしかものや情報があふれることで見えなくなってしまっているのではないだろうか・・・。


「生きるとは」

「幸せとは」


哲学的要素が強くなかなか好んで考えるテーマではなさそうだけど、そんな事をいつもより深く・そして真剣に考えずにはいられない日だった。

私はスラムを直接的に救うことはできない。そんなことは理解している。

けど、

それを受けて考えることはできる。


ここまで、あたかも全てにおいてスラムが長けているというような感じに書いてきたが、それは違う。思考力や考察力は、明らかに私達の方が長けている。それは知識量が違うから、教育を受けることができているから。

その結果が現実的に物質的・情報的格差を生じている。


そう、スラムに本当に必要なのは物資やマンパワーではなく、何よりも教育。

少しのお菓子や衣服をくれたところで彼らは何も成長しない。おそらくまた翌日もその恵みが来ることをただ待つだけ。だけども、教育はどうだろうか?

私達と同様に彼らも同じ人間。もちろん、知り得ない・意識できない・想像できない世界は創造できない。

そう考えていくと、本質的に私達にとって必要なことや大切なことが見えてくる。本当の意味での「生きる」「幸せ」とは何か。何を考え、どう成長していくのか。この世に、日本に生を受けた今、何を自分の使命としこの命を全うするのが最善か。

自然と答えや思考が開けていく。


今回のスラム旅では、私は彼らからとても学び・考えることができた。

人生のうちに、これほどまでにシンプルに「生きる」「幸せ」を考えることはあるだろうか?

この貴重な経験をできた事だけでも、今回私はマニラに来た意味があると感じた


数え切れない程の写真も取らせてもらいましたが、ここでは少しだけ共有。

こういう場所を自分の目で観ることで、

改めてテレビで流れているニュースや悲惨な状況って、

決して他人事ではないんだなと気付かされます。


日本にいて一番危ないのは、平和ボケすることなんじゃないのかな?



Be Mature / Etsu

初めての海外留学とワーホリで得たbe matureな軌跡や経験をシェア。過去を振り返りながら綴ります。